なぜ邪悪なのか?なぜ美しいのか? 一体なぜ私たちは愛するのか? 愛のような束の間の美しさを言葉で飾ることは全くもって難しい。愛を知った時、世界の全ての色はその色合いを深めるようだ;昼夜の単調な灰色において愛は輝く。そのきらめきを内へ外へと変化させながら ― 心、体、魂の外へ中へと。私たちは信じ続けるのだ…私たちは愛を望み、恋焦がれ、息を弾ませ待っているが、全ての人が人生の中でその機会を与えられる訳ではない。その究極の感情的な願いの深さに届かず、寂しい生を送る者もあれば、十分に祝福を受けず、人生の道のりに沿って、平凡な死という人並みのものに内なる禅を見つけるために、与えられたものに適応し、それを受け入れ、さらには愛するようになる者もある。それは果たして平等なのか?自分自身の本当の禅を見つけるために、その侵入者だと疑わしきものへの従順な忠誠に対して、真実の愛で心を築くというのか?それは認識、文化、従順さに依る。私たちの誰もが、各々が、一番に、最優先で自分を愛し尊重することを決して忘れてはならない。そうすれば、ひょっとしたら私たちは情熱が何であるかということについて少しずつ理解を深めるかもしれない…
// デジタルカレッジ // 2014-2015
中国で生活する中で、心踊らせる新しい地平に気付き、それについて学び、調べた。ここにある私の作品 第4番 は中国の文化において非常に特別な意味がある。正しい声調で発音された 「四(sì)」 は 単なる数字に過ぎない。しかしながら、声調を変化させるだけで、その言葉はより強力な言葉に変わり、同時に皆から忌み嫌われるものになる − 死だ。あのなんとも言えない、腹の中に蝶がいるようなそわそわする気持ちを表現するためにこのMOTHSシリーズを制作したが、それによって、私は死とはあの猛烈な感情における不可欠な部分だと気付いた。愛するということはその為に死ぬということなのか?崇高な感情であるが故に純粋で壊れやすく、その力によって人は創造も破壊もし得る。時に人生とは完璧ではない。…時に、愛することによって、人は、決してやって来ることのない真実を求め彷徨う、生きたまま食べられた魂であるかのように感じる。 どんなに忙しい人生を送っていても、それがどんなに心躍らせ、色彩豊かでも…キューピッドの愛の矢に射抜かれ、群衆に囲まれて生活をし、しかしながら、心を傷つける腐敗に虚しさと悲しみを感じる。死の蛾は棺桶に魂を封印するが、その棺桶の中で魂は奇跡を待つ −息を吹き返させる唯一の力、すなわち希望を。
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満たされた愛と同等に超越的ではあるが、一面的な献身は神聖さとは程遠い。疎外されることで、人は、愛情の欠如について掘り下げ、数え切れないほどの幻想的な寓話を創り出すようである。時は過ぎる;情熱と絶望に姿を変えた宇宙は、淡い光の中へと消えてゆく。精神の蛾は翼を広げて慌ただしく羽ばたき、論理的な注意を歪め、影を投げかける。そうして押しのけられてしまったリアリズムと認知によって、痛烈な判断を広げるための余地が生まれる。何も不可能には思えない; いかなる記憶の残滓も、唯一無二の存在の必要不可欠な部分となる。現実は、無限に続く混乱における非伝統的な掟破りの領域を形成するために歪められる。この生物は、病んでしまった精神に統合し、現在進行形で歪められてしまっている現実の黒幕となる。これに治療法はない − 心がほぐれた時、人生はずっと続く幻覚のように思われるのだ。
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どこから蛾はやってくるのか、と人は尋ねるかもしれない。そこかしこにいる夜の蛾たちは、しばしば未開の虚ろな宇宙に埋められ、時には一連の奇妙な出来事に目を覚まし、影から解き放たれて昼間のいたずら者となる。蛾自身には魂がなく、代わりに、蛾は犠牲者を求め、容赦なくその精神に寄生するのだ。深紅の蛾もこの点において違いはない。見かけは魅惑的だが、その利己的な肉食性という性質によって、昼夜問わず血を求め、言葉では表せない美しさと生を保っているのだ。一度傷つきやすい心を捉えたら、残忍なダンスを始め、その牙で獲物の繊細な内部の深いところまで喰らいつく。残るのは、血みどろの傷だけである。虜にされた精神は長く勇敢に戦い、この侵略者のあらゆる残忍さに耐え忍ぶが、苦しみぬいて、ついには最期の声にならない囁きを残すのであった - 否。
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愛には、他のあらゆるものと同じように、多くの影がある。人は、この上なく幸福だと感じると、ただ良いことだけが自分の周りで起こってほしいと叫びたくなってしまう。しかしながら、常にそのようにはいかない。時に、深淵から水晶の蛾がやって来て、現実をかき回し、筆舌に尽くし難いほどの痛みを引き起こし、その痛みは徹底的に乾燥し燃え尽きる終わりのない滝を呼び起こす。その流れは止まらない。悪魔の使者は、すでに晒された敏感な魂を、悪魔の真実に直面させ、搾り取り、型を取り、そして歪める。すると突然、深く傷ついた者が、苦さと痛みの海で溺れていて、激しい苦痛から助かる手立てを求めている。この際、これまで以上に、差し迫ってその悲痛と力を奪う傷をぼかす憐みを、ほんのわずかでもいいから求めている。不滅の滝は干上がる。精神の中にある、長い時間をかけて膨らみ強くなった痛みは、塩の山を築き上げたのだ。その塩が、泉を焦がしたのである。
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火に包まれた無限の蛾は、これらの蛾の中で最も甘くてほろ苦い寄生虫だ。全く予期せず人の心に入り込み、なまめかしい炎で身体と魂を覆い尽くす。この魂の独裁者によって、人は何か真実の愛のような抽象的なものを願うことになる − 心の友は本当に存在した — 本当にそうなのだろうか…?そうかもしれない。ただ、蛾が埋め尽くす陰鬱な空の下で、宇宙が猛烈に狭まっているのだが。甘い蜜の催淫剤に毒された月明かりの下で、真実の愛は、頰を乾かす風が好印象な明るい蝶の羽に乗せて柔らかな口づけを届けてくれる、と夢見る二人のためだけに輝き得る星を探して待っている。そうして人は眠りにつき、目を覚まし、石のような冷酷な侵入者に挨拶をする…無限の妄想が心を侵食し、人は不合理に振舞う。そしてこの妄想は無私の愛による行為で与えうる全てを差し出し、 即座にかつ意識的に、これらの行為がいかに愚かであるかを苦しむ者に分からせる。それにも関わらず、感情が無限であるがために、正常な状況において推し量り、論考し、回避されたであろうことが強調されすぎてしまう。直ちに人は悲喜劇的な見世物となる…面子を保つことを望みながら…どうやって?どうやって悪夢から目を覚ますのか?無限に続く夢から?
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私は、このMOTHシリーズの作品に取り組むという、圧倒的で、しかしながら魅力的な過程の、最終章に辿り着いた。このシリーズは、ひとつの探求であると同時に、満たされない賞賛というテーマにまつわる感情の開拓でもあった。時に、純愛、すなわち好ましくない気質による愛情は、私たちに幸せな瞬間のみを祝い、思い出として残す傾向があるために、省略され、忘れられてしまうのだ。なぜなのか…。第9番には、他のこれまでの作品と同様に独特な意味がある。数占いにおける数字の9は、人生の最終段階に相当し、運命を司っている。感情がひどく乱れ分裂していく中で、柔らかなオーロラの光は闇と光の翼をもった生物、カルマの蛾を運んでくる。それをきっかけとして、利己的な愛情と長い間戦った悲嘆にくれた魂は、その2つの感情がその人生で運命づけられていないことを悟った…。すなわち、真実の愛への決着のつかない戦いは、とるに足りないものであり永遠に失われたのだということを…。その蛾がもたらす平穏は心を病んだ虚空を織り交ぜ、よりよい未来を予期して信念の破片の上を飛び交う。結局、胸を駆け巡るその踏みにじられた歓喜と微妙さ、それを維持し得る唯一の方法は、自身の楽園を想像することのみなのである…。
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